本日、6月8日の藍瑠地方は晴れ。
最低気温20度、最高気温は28度。
湿度60%前後、午前中は多少蒸し暑く感じることもあったものの午後からはスッキリとした過ごしやすい1日でした。
藍瑠さんはディスクドッグ競技を追求したいと思っていたいぬらぼのところに来ましたが、その当時のいぬらぼの対応力では不十分もいいところでした。
競技自体にハマりすぎて犬としてのベースを十分に育んであげられなかったがためにディスクドッグとしてのポテンシャルをも十分に引き出してあげることができなかったといったところでしょうか。
端的にいえば藍瑠さんの競技犬としての育成に失敗したのです。
大切なときに肝心なことを教えられないと軌道に乗せるのがとても大変になります。
育成に失敗したといっても、一般家庭犬としての藍瑠さんに何か問題があるわけではありません。
いわゆる問題行動のようなものはありません。
では何が?
それは藍瑠さんのココロを十分に育むことができなかったことでしょう。
そのころはハマりすぎて気づけませんでしたが、大事な藍瑠さんのココロにどこかで傷をつけてしまったのです。
その頃、必要なのは犬を御するためテクニックだと信じていました。
「どうすればできるのか?」ばかりで「なぜできないのか?」を考えず、結果として肝心の藍瑠さんのココロを置いてけぼりにしてしまいました。
藍瑠さんはハイパーテンションでしたがセンシティブで、つまりびびりである藍瑠さんにいぬらぼがびびってしまって指導を詰め切れなかったことが問題だったのだとその当時は考えていました。
今ならわかりますが、見当違いも甚だしいです。
タイムマシンがあるなら当時の自分を説教したいところです。
犬は感情を持つ動物です。
ココロを持っています。
ただし人とは感受性がちがいます。
人よりも「不安」と「恐怖」が占める割合が多いように思えます。
それから、犬は「言葉」をしゃべりません。
人とはちがって「言語」による思考をしません。
つまりは人がどんなに「言葉」を尽くしても犬にはストレートには通じないのです。
人がなんらかのシグナルが出しても、犬にはわけがわからなくて、わからないでいると人から負の感情を感じるという、人であれば不条理と感じるような事態は、犬にとっては「不安」でしかないでしょう。
言葉の通じないどこともしれない国のどこともしれない路地裏にでも放りだされたでも考えてみると犬の「不安」もわかろうというものです。
人にはさせたいことがあって犬にそれをさせるとき。
つまり犬とコミュニケーションをとるときに必要なことはシンプルでわかりやすいことです。
犬にわかってもらえてはじめてコミュニケーションが成り立ちます。
伝われば犬は「不安」を感じずにすむでしょう。
犬のトレーニングでは積極的に「ほめ」ますが、「ほめる」という行動は、「ほめ」られる犬にとってシンプルでわかりやすいものです。
その「ほめる」ことすら、「ほめ」ているとわかってもらうためのよりシンプルでわかりやすい手続きを必要とします。
人が「ほめ」ていると思っていても、犬が「ほめ」られていると感じるかどうかは別問題だからです。
藍瑠さんの話に戻すのだとすれば、結局のところ、藍瑠さんはいぬらぼのいうことがよくわからず「不安」に思っていたということです。
そこに気づかず競技においてああさせたいこうさせたいと型枠にはめるだけの表面的なテクニックでもって藍瑠さんに強制させた結果、藍瑠さんのココロに傷を作ってしまったということなのです。
犬に伝わりやすければ、犬は「不安」に思うことはないでしょう。
意思の疎通がはかれれば、犬は「自信」を持つようになるでしょう。
つまりは犬の「自信」は人との意思の疎通によって育まれるものなのです。
「自信」を持てば、より人に「期待」をするようになるでしょう。
これもポジティブループです。